「こんな仕事、もう逃げたい…」それって甘え?限界だった私の話

転職

「逃げたい」という気持ちは、心が限界を知らせる“最後の警告”のようなもの──
これは、メンタルケア支援の現場でも繰り返し語られている考え方です。
本記事では、そんな背景を踏まえつつ、いくつかの体験談も交えながら、
「逃げたい気持ち」とどう向き合えばいいのかを一緒に探っていきます。


「逃げたくなるのは、ただの甘えなんだろうか?」
そう思ったこと、ありませんか?

仕事、人間関係、家庭、プレッシャー。
頑張ることが当たり前になっている毎日の中で、ふと心が限界を告げる瞬間──
「もう無理かも」「逃げたい」って思うことが、誰にだってある。

でも、そんな気持ちを抱えたまま、
「逃げたら負けだ」
「甘えるな、自分」
って、自分を責めていませんか?

もし、そんな風に自分を責め続けているのなら……
今日はただ、ちょっと立ち止まって、
この文章をゆっくり読んでみてください。

第1章:なぜ、私たちは“逃げたい”と思うのか?

「もう無理かも…」
そう思ったこと、きっと誰にでも一度はあるんじゃないかな。

頭では「逃げちゃダメだ」って分かってるつもりなのに、心がついてこない。
朝起きるのが怖くて、玄関のドアを開ける手が止まる。
そんな瞬間、私たちは「逃げたい」って思う。

でも、この“逃げたい”という感情は、本当に悪いものなのかな?

むしろ、それは**「自分を守ろう」とする本能的なサイン**かもしれない。
体が限界を感じている。
心がこれ以上壊れたくないと叫んでいる。
それを“逃げ”という一言で片づけてしまうのは、ちょっと乱暴じゃない?

たとえば──
✔ 自分だけに仕事が集中していて、もうパンク寸前
✔ 上司の機嫌に振り回される毎日に、心がすり減っている
✔ ミスを許されない職場で、常に緊張と不安を抱えている
✔ 「こんな自分じゃダメだ」と、自己否定が止まらない

こんな日々の中で「もう逃げたい…」と感じるのは、ごく自然なことだと思うんだ。

逃げたいという気持ちは、決して「弱さ」ではなく、
“今のままでは危険だよ”と知らせてくれる心のSOS

だからまずは、自分のその気持ちを責めないでほしい。
逃げたいと感じた瞬間、あなたはすでに「気づけている」から。

この先の見出しでは、
逃げたくなる状況、心の葛藤、世間の目、そして「逃げてもいい」と思える瞬間について、じっくり一緒に考えていこう。

第2章:逃げたいと思うのは「甘え」なのか?

「逃げたい」──
この言葉に、どうして私たちは“後ろめたさ”や“罪悪感”を覚えてしまうんだろう。

「社会人なんだから」「責任を果たさないと」「甘えてるって思われたくない」
そんな声が、頭の中にこだまする。
でも、それって本当に“甘え”なのかな?

たとえば、心が折れそうなほど追い詰められていても、
「逃げるなんて無責任」って自分を責めてしまう。
それって、**頑張りすぎている人ほど陥る“思考の罠”**なんじゃないかな?

世間が言う「逃げ=悪」という構図には、
いつの間にか染みついた“価値観”が潜んでる。

✔ 途中でやめたらダメな人間
✔ 辛くても我慢するのが大人
✔ 周囲の期待に応えるのが当然

……そんな“べき論”に押しつぶされそうになって、
本当の自分の声が聞こえなくなってない?

「逃げたい」は、現実から目をそらす行為ではなく
“自分を守る選択肢”になることだってあるんだ。

むしろ、「逃げる」という選択をするためには、
✔ 状況を冷静に見つめて
✔ 自分の限界を認めて
✔ 勇気を持って“線を引く”覚悟

が、必要なんだと思う。

甘えじゃない。
ちゃんと向き合った結果の「逃げ」なら、
それは自分を守る勇敢な行動なんだ。

だからこそ──
「逃げたい」と思ったあなたの感情は、責められるものじゃない。
ちゃんと、大切に扱ってほしいんだ。

第3章:「逃げたい」と思ったとき、身体が先にSOSを出していた

「気づいたら、ため息ばかりついてた」
「朝になるとお腹が痛くなる」
「休みの日も、心が休まらない」──

そんなふうに、心より先に身体が反応していた経験はないかな?

人は、無理をしているときほど「大丈夫」と言いがち。
でも、身体は正直なんだよね。

たとえば、こんなサイン。

  • 朝、布団から出るのが怖い
  • ご飯が喉を通らない、あるいは過食に走る
  • 寝ても寝ても疲れが取れない
  • 考えがまとまらない、集中できない
  • イライラが止まらない、自分が嫌になる

こうした症状って、単なる「疲れ」や「怠け」ではなく、
心が限界に近づいている証拠かもしれない。

でも、真面目で頑張り屋な人ほど──
「こんなことで弱音を吐いたらダメだ」って自分を責めてしまう。
それが、さらに自分を追い詰めるループになってしまうんだ。

忘れないでほしいのは、
“逃げたい”って思いは、
身体からの「ここから離れてほしい」という必死のサインでもあるってこと。

逃げたくなる理由は、
単なる「気分の問題」ではなく、
すでに心と身体のバランスが崩れ始めていることへの警告でもあるんだよ。

「なぜ逃げたいのか」よりも先に、
「いま自分の心身に何が起きてるのか?」に目を向けてみて。

心の声を無視しないであげてほしい。
それが、あなたを守るための第一歩だから。

『何もしていないのに涙が出る』──それが最初のサインだった(体験記)

あの日、特に何かがあったわけじゃないんです。
仕事もいつも通りで、誰かに怒られたわけでもなく、家に帰ってきて、夕飯を食べて、お風呂に入って、布団に入って──ただ、それだけ。

でも、布団の中で目を閉じた瞬間、スーッと涙が流れてきて。
何も考えていなかったはずなのに、気づけば頬が濡れていて、私はその涙の理由さえわかりませんでした。

「なんで…? 何で泣いてるの…?」って、自分に聞いても、返ってくる答えはなくて。
ただただ、胸の奥がズーンと重たくて、息をするのが少しだけしんどくて。

次の日も、その次の日も、私は笑って仕事に行っていたけれど、
心の中ではずっと、静かに「助けて」と言っていたのかもしれません。
でも、そんな自分の小さな声に、気づけなかった。

後から思えば、あれが“最初のサイン”だったんだと思います。
心が「もう無理かも…」って、先に気づいて、身体より先に教えてくれてたんですよね。
なのに私は、「まだいける」「こんなことで弱音を吐いちゃだめだ」って、何も見ないふりをしてしまっていました。

第4章:それでも「逃げちゃダメだ」と思ってしまうのはなぜ?

「逃げたい」と思っても、すぐには動けない。
むしろ、逃げることに強い抵抗を感じる人がたくさんいるんだよね。

「逃げるなんて甘えだ」
「我慢が足りない、自分が弱いだけ」
「逃げ癖がついたら終わり」
──そんな言葉が、頭の中で何度もよぎってしまう。

でも、それって本当に“自分の声”かな?

よくよく思い返してみると、
それは子どもの頃に言われた言葉だったり、
学校や職場の文化で刷り込まれた価値観だったりすることが多い。

「最後までやり抜くことが正義」
「弱音を吐くのは悪いこと」
「途中でやめたら負け」
…そんな“がんばり神話”が、心のどこかに根を張ってるんだ。

もちろん、責任を果たすことや粘り強さは大切。
でも、その美徳のために自分を壊してまで頑張る必要はないんだよ。

大切なのは、“逃げるかどうか”ではなく、
**「どこに立ち止まり、何を選ぶか」**という視点。

「逃げたいと思う自分を責める」んじゃなくて、
「どうしてそう思うのか」を冷静に見つめることが、
次の一歩を決める大きなヒントになるんだよ。

逃げたいと思うことは、弱さじゃない。
むしろ、自分の心をちゃんと感じ取れている証拠なんだから。

第5章:「もう無理…」と心がつぶれそうになる瞬間たち

逃げたい──そう思う瞬間には、必ず理由がある。
それは、突然襲ってくるものじゃなくて、
小さな“しんどさ”の積み重ねだったりするんだ。

たとえば、こんなとき──

  • 毎朝、会社に向かう足取りが異常に重い
  • 出勤前、吐き気や頭痛が止まらない
  • ミスをするたびに人格まで否定される
  • 同僚や上司との関係がぎくしゃくして孤立感を感じる
  • 「何をしても評価されない」と感じる毎日

そんな日々が続くと、
「自分さえ我慢すれば…」と思っていた心が
だんだん、**「このまま消えてしまいたい」**という声に変わっていく。

でも、それって本来の自分の声じゃないよね。

頑張りすぎた結果、
自分の中の**「もう限界です」というサイン**を無視し続けてきた代償。
そしてそのサインは、体にも出てくる。

  • 寝ても疲れが取れない
  • 食欲がない、または暴飲暴食
  • ふとした瞬間に涙が出る
  • 急に人と会いたくなくなる

これらは、心と体が送ってくる**「逃げていいよ」のメッセージ**。
でも私たちは、なぜかそれを無視しがちなんだよね。

なぜなら、「逃げる=負け」と思い込んでるから。

だけど、本当にそうだろうか?

逃げることで、自分を守れるなら、
それは**立派な“選択”**なんだ。

「もう無理…」と感じるのは、あなたが弱いからじゃない。
むしろ、もう十分すぎるほど頑張ってきた証拠なんだよ。

あの日の夜、私に起きたこと(体験記)

仕事が終わらない。
頭ではわかっているのに、体が動かない。
私が初めて「もう無理…」と本気でつぶやいたのは、そんな夜でした。

繁忙期の事務職。周囲はみんな定時退社していくのに、私は一人だけ山のような業務が残っていて、資料に目を通すことさえままならない。
頭が真っ白で、どこから手をつければいいかわからず、気がついたら書類の山の前で、ペンを握ったまま固まっていたんです。

「やらなきゃ」
「急がなきゃ」
「頑張らなきゃ」

でもその“〜なきゃ”がどんどん自分を締めつけて、
その夜、私は静かに涙がこぼれました。

「なんで自分ばっかり…」
「誰も助けてくれない…」
「逃げたい、でも逃げられない」

そんな気持ちが一気に押し寄せてきて、心の中がパンパンに膨れ上がった瞬間でした。

第6章:「逃げる」は“終わり”じゃない──むしろ“はじまり”かもしれない

「逃げたら終わりだ」
そう言われ続けてきた私たちは、
何があっても踏ん張ることが“正解”だと思ってしまう。

でも、それって本当?
もう一度、自分に問いかけてみてほしい。

──「その場所にいることで、あなたは幸せになれるの?」
──「その環境に、未来を感じられている?」

答えが**「NO」**なら、
そこに居続けることのほうが、
よっぽど自分を“終わらせてしまう”行為なのかもしれない。

「逃げる」とは、
ただ“その場から離れる”ことじゃない。

  • 傷ついた心を守ること
  • 新しい道を探すこと
  • 生き延びるために必要な行動をとること

つまり、「自分を見捨てない」という強さなんだよ。

周りにどう思われるかじゃなくて、
自分が自分をどう扱うかを大切にしてあげてほしい。

たとえば、今の職場から離れること。
それは「キャリアの挫折」ではなく、
本当に自分らしく働ける場所を探す、第一歩かもしれない。

たとえば、無理な人間関係から距離を取ること。
それは「負け」ではなく、
自分の心にちゃんと耳を傾けた、立派な選択かもしれない。

“逃げる”ことでしか見えない景色がある。
そこから始まる人生もある。
だからこそ、私は伝えたい。

逃げることを、自分に許してあげよう。

それは、
「終わり」じゃなくて、
“自分の人生を生きる”ためのはじまりなんだから。

第7章:「逃げたあとに残るもの」──それは“本当の自分”だった

逃げるって、やっぱり怖い。
その先に何が待っているのか、誰にもわからないから。
もしかしたら、孤独になるかもしれない。
もしかしたら、何も得られないかもしれない。

そう思うと、一歩が踏み出せない。

でも実際に逃げた人たちは、こう口をそろえる。

「あのとき逃げてよかった」
「やっと、自分を取り戻せた」
「もっと早く、そうすればよかった」

何かから離れたとき、
私たちは同時に、「自分」と再会する。

  • 頭ではわかっていたけど無視していた本音
  • 忘れていた、好きなこと・やりたいこと
  • 小さくても確かに持っていた夢や希望

それらが、静かに浮かび上がってくる。

あの頃は、ただ“生き延びるために我慢していた”だけだった。
でも、本当の自分はちゃんとそこにいた。
“逃げたあと”になって、ようやくその存在に気づけた。

逃げなければ、一生見えなかったかもしれない自分。

本当はあの仕事、向いてなかったんだ。
本当はあの人の言葉、ずっと傷ついてたんだ。
本当は、もっと自由に働きたかったんだ。

“本音の声”は、静かな場所でしか聞こえない。

だからこそ、
逃げることは 「自分の声を取り戻す旅」 なのかもしれない。

そしてその声こそが、
これからの人生を導いてくれる “道しるべ” になる。

「逃げたあとに残るものなんてない」と思っていたけど、
残ったのは、
今まで見ないふりをしていた“自分自身”だった。

それに気づいた瞬間、
逃げることが、
“負け”なんかじゃなかったことが、
心からわかるようになる。

静かな時間の中で見つけた、本当のわたし(体験記)

「もう無理だ…」
その一言を口に出したのは、仕事を辞めるって決めた日の夜だった。

ずっと頑張ってきたつもりだった。
職場では“ちゃんとしてる人”でいなきゃいけなくて、
家では“迷惑をかけない人”でいなきゃいけなくて──
気づけば、誰にも弱音を吐けなくなっていた。

でも、限界はあるんだよね。
ある朝、布団から起き上がれなくなった。
頭も身体も、重くて動かない。
「あ、ダメだ。これはもう続けちゃいけないんだ」って、ようやく気づいた。

逃げるように職場に電話して、
その後は、罪悪感と無力感でいっぱいだった。
「逃げちゃった」「みんな頑張ってるのに」「私だけがダメだったんだ」って。

でも──
逃げたあとに、自分と向き合う時間がやってきた。

本を読んだり、静かな公園を歩いたり、
何もしないでぼーっと空を見上げたり。

すると少しずつ、「本当は何がつらかったのか」「何に縛られていたのか」が
自分の中から浮かび上がってきたんです。

逃げたことを恥じる気持ちもあったけど、
それ以上に、「あぁ、自分って本当はこう感じてたんだな」って
気づけたことが、私を少しずつ前に進ませてくれました。

逃げることで、自分に戻れた。
そして、逃げる前には見えなかった“本当の私”に出会えたんです。

第8章:逃げた先での時間を、どう過ごすかが分かれ道になる

逃げることで、とりあえず危機からは離れられる。
でも、それで終わりじゃないよね。
むしろ、“そこから”が本当のスタートなんだ。

大切なのは、逃げたあとの時間をどう過ごすか。
ただ傷を癒すだけの時間にするのか、
それとも、自分の人生を見直すための時間にするのか。

ここでの過ごし方が、
「逃げてよかった」と思える未来をつくる鍵になるんだ。

たとえば、こういう過ごし方。

  • 今まで無理してきたことを紙に書き出してみる
  • 自分の“好き”や“得意”を見つめ直してみる
  • これからどんな働き方が合っているか考えてみる
  • あえて「何もしない日」を設けて、自分に優しくする

逃げたあとの時間って、ちょっと不思議で…
自由なはずなのに、不安にもなる。
「これでよかったのかな?」って、何度も思ってしまう。

でも、そんなときこそ焦らずに、
“自分のペースでいい”ってことを思い出してほしい。

まわりと比べなくていい。
すぐに結果を出さなくていい。
「動ける日」もあれば、「止まりたい日」もあって当然。

大事なのは、自分との信頼関係を取り戻すこと

「自分の選択は、間違ってなかった」って思えるように。
逃げた自分を、責めるんじゃなくて、
守ってくれた自分に“ありがとう”って言えるように。

逃げた先で、自分と向き合う時間を持てた人は、
次のステージに進む力をちゃんと取り戻していく。

だから、逃げたあとに残った“空白の時間”を、
人生を見直す最高のチャンスにしていこう。

第9章:“逃げたい”と思うことは悪いことなのか?

私たちの中には、
「逃げちゃダメだ」
「逃げたら負けだ」
っていう“刷り込み”が、どこかにあるよね。

学校でも、職場でも、社会全体でも。
「苦しくても耐えるのが正しい」っていう空気がある。

でも──

本当にそうなの?

たとえば、
燃え尽きるまで頑張った結果、心も体も壊れてしまったら?
それでも「逃げるな」が正しいのかな?

そんなこと、ないよね。

「逃げたい」って感じるときって、
もう限界が近いサインなんだと思う。

  • 頑張りすぎて心が疲れてるとき
  • 自分ばかり我慢しているとき
  • 誰にも助けを求められず孤独を感じているとき

それを無視して耐え続ける方が、
よっぽど自分を苦しめてしまう。

“逃げること”って、
実は自分を守るための防衛本能なんだよ。

たとえば、
炎の中から飛び出すのは「逃げ」じゃなく「避難」だよね。
それと同じ。
心が焼けそうな場所から離れるのは、必要な行動なんだ。

それでも、「逃げた自分が嫌いになりそう…」って
思うかもしれない。

でもね、逃げたことよりも大切なのは──
**「どうやって立ち直っていくか」**なんだよ。

逃げたあと、そこでどう生き直すか。
どうやって自分を取り戻していくか。
それが“人生を前に進める力”になる。

だから、逃げたくなる気持ちにフタをしないで。
ちゃんと受け止めていい。

「苦しい」と感じた自分に、
「よく気づいたね」って言ってあげてほしい。

第10章:逃げたその後、人はどうなるのか?

「逃げたら終わりだ」
そんな言葉に追い込まれて、
あと一歩が踏み出せなかった人は少なくない。

でも──
実際に“逃げる”という選択をした人たちは、
そのあとどうなったのか?

逃げたことで人生が壊れた?
立ち直れなくなった?
そう思われがちだけど、
現実は、まったく違う。

むしろ──
逃げてよかった
あのままいたら、自分が壊れてた
って声が圧倒的に多い。

たとえば、
・ブラック企業から脱出して、転職に成功した人
・自分に合わない学校をやめて、別の道を歩き出した人
・人間関係に疲れて職場を離れ、フリーランスに転身した人

彼らに共通するのは、
「逃げたこと」が転機になったということ。

もちろん、逃げた直後は不安もある。
後悔や自責の念も出てくる。

でも時間が経つにつれて──
あの時の自分は、よく踏み出せた」って、
未来の自分が認めてくれる日がくる。

逃げるというのは、
「すべてを手放すこと」じゃない。
「今の自分を守って、未来の可能性に賭ける」こと。

そこに、恥ずかしさなんていらない。
自分の人生を、自分の足で歩き出すための一歩なんだから。

第11章:逃げたからこそ見えた、新しい景色

逃げることは、ただ後退することじゃない。
ときにそれは、“見えていなかった景色”への入り口になる。

あの場所にいたときには、
「世界はここしかない」と思い込んでいた。
自分の居場所はここしかない。
ここでダメなら、もう終わりだ──って。

でも、いざそこを離れてみたら──
空は広かった。
風はこんなにもやさしかった。
そして、自分を責めない世界が、確かにあった。

たとえば、
・誰も怒鳴らない職場
・思いやりで回っているチーム
・失敗しても受け入れてくれる人たち

「ここにいたかったのは、自分じゃない」
「でも、ここに来てよかった」
そう思える場所が、ちゃんとこの世界にはある。

そして、何よりも大きかったのは──
“自分自身の声”が聞こえるようになったこと。

「本当は、こうしたかったんだ」
「無理してたんだな、あのとき」
そんな心の声に、ようやく耳を傾けられるようになった。

逃げたことは、終わりじゃなかった。
それは“見えていなかった世界”を知る、はじまりだった。

辛い環境から逃げた私の心はようやく呼吸を始めた(体験記)

夜中に荷物をまとめて、そっと家を出た。
何も言わず、誰にも連絡せず、ただ「これ以上ここにいたら、私は壊れる」と思ったから。
逃げるように電車に乗り、静かな街にたどり着いた頃には、夜が明け始めていた。

駅前のベンチに座っていたとき、ふと気づいた。
胸の奥が、いつもより静かだった。
あんなにギュッと締めつけられていたのに、いまは少しだけ呼吸ができる。
うまく泣くこともできなかった心が、「泣いていいよ」と言われたように、ぽろぽろ涙を流した。

「私、あの場所でずっと我慢してたんだな…」
小さなつぶやきが口をついて出た。

追い詰められている最中は、自分の状態すらわからない。
でも、そこから離れて初めてわかる。
“おかしかった”のは自分じゃない。“正常じゃなかった”のは、あの環境だった。
そんな気づきが、じわじわと胸を温めた。

朝日が昇るのを見ながら、私は思った。
「逃げたことは、負けじゃない」
「自分を守るための、たしかな一歩だったんだ」と。

「逃げた自分が許せなかった…」あの日々を越えて(体験記)

誰にも言えなかったけれど、
私はずっと、「逃げた自分」を責め続けていた。

もう限界で、逃げるしかなかったとわかっていたのに、
周りは頑張っているのに、自分だけ逃げてしまった気がして──
なんだか「負けた」ような気がして、
どうしても、自分を肯定することができなかった。

仕事から離れたあとも、罪悪感はずっと心の中に残っていた。
それは、“逃げたこと”そのものより、
「頑張れなかった自分」を認めるのが怖かったんだと思う。

そんなある日、何気なく読んだ言葉が胸に残った。

「逃げたのは、負けたからじゃない。
 生き延びるための“選択”だったんだよ」

たったそれだけの言葉だったけれど、
私は画面の前で、静かに涙がこぼれていた。

自分を許していいのかもしれない──
逃げたことが間違いじゃなかったのかもしれない──
そう思えたあの日から、少しずつ呼吸がしやすくなっていった。

あのひと言がなかったら、私は今ここにいなかった(体験記)

あの夜、私は駅のホームのベンチに一人で座っていました。
終電間際、電車が過ぎていく音だけが遠くに響いていて、
ポケットに入れたスマホは何度も通知を無視したまま。

どうしてこんなに疲れてしまったんだろう。
誰に話せばいいのか、どうすれば楽になるのかさえわからなくなっていました。

そのとき、ふと頭に浮かんだのが、以前 職場の先輩が何気なく言ったひと言でした。

「逃げるってさ、悪いことじゃないと思うよ。
本当にしんどいときは、まず自分を守らなきゃ。」

そのときは、何気ない雑談の中の言葉として聞き流していたのに、
苦しくて、孤独で、泣きたくてたまらなかったあの夜には、
そのひと言だけが、胸に真っ直ぐ届きました。

私は、そのまま帰宅しました。
出勤連絡を入れる勇気もなくて、布団に潜り込んで、静かに泣きました。

翌日、勇気を出して「少し休みたい」と会社に連絡をしたとき、
自分の声が震えていたのを覚えています。

でも、不思議なことに、そのあと少しずつ体調も気持ちも落ち着いていきました。
何もかも投げ出してしまったわけじゃない。
ただ、“自分の命を守る”という当たり前の選択をしただけだったのだと、今ならわかります。

第12章:“逃げる”という選択を、誰かに笑わせないで

「逃げたっていいじゃん」
──そんな言葉だけじゃ、救われない人もいる。
“逃げ”は、ラクを選ぶことじゃなくて、
必死に生きるための手段なんだよ。

本当に苦しかった人は知ってる。
逃げるまで、どれだけ悩んで、どれだけ自分を責めてきたか。
誰にも言えず、たった一人で抱え込んできたことを。

でもね──
そこから立ち去った“あなた”は、弱いどころか、ものすごく強い。

たとえ誰かが「根性がない」とか「逃げ癖だ」とか言ったとしても、
その人はあなたの苦しみを知らない。
あなたの人生を生きているわけじゃない。
そんな声に、これ以上傷つかなくていい。

「逃げたことが、自分を守ってくれた」
そう思えたなら、それは**“立派な選択”**だよ。

自分の心を壊すまで我慢するのではなく、
「もうやめよう」「ここから離れよう」と決めた勇気を、
私は誇ってほしいと思う。

だって、あなたの人生は、あなたのものだから。


🌱最後に

苦しさの中で、何が正解かわからなくなったとき。
立ち止まって、この記事のことを思い出してくれたら嬉しい。

「逃げる」というカードを、
“悪者”にしないでいいんだって。

そんなふうに、少しでも心が軽くなる人がいたら──
それが、この記事を書いた理由です。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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